国産デニム生地生産

こんにちは!Otenkingです!

今日は国産デニムは何処で作られているのか?について調べてみました。

さて、先日デニムパンツ(=ジーパン)ができるまでの生地サプライヤーについて調べてみました。アメリカの3大デニムアパレルブランド(Levi’s、LEE、Wrangler)は基本的に仕入れた生地を使って衣類などを作っているわけですが、日本の国産デニム、つまり生地は何処で作られているのでしょうか?



デニム=生地で、デニム≠ジーンズとすると、正確には日本国内でデニム生地はどこの会社が作っているのか?ということを探ってみたいと思います。デニム産地として名高い三備地域であろうことは、察しがつくものの、どのジーンズブランドを見ても全てのシリーズで「生地は何処何処のもの」と謳っているところが少ないこともあって、いったいどうなのかというのが疑問の発端です。

写真:カイハラ社のセルビッジデニム生産ライン

アメリカが全てのデニム生地がコーンデニム(旧コーンミルズ社)だけでないように、日本にも複数のデニムを生み出す企業があります。

歴史的には、日本には藍染という綿織物に藍色をつける技術は存在していましたが、それは、糸の芯まで染まる本藍染が伝統的な技術として広く用いられていました。

しかしながら、本来のデニムのように色落ちすると白くなる「ロープ染め」の技術に類似した裏白紺小倉織物も生産されており、ジーンズの普及に伴い1960年頃には一部でデニム生産が開始されていたようです。

参照>>「岡山県の繊維産業」pdf



ジーンズは単にズボンのデザインの輸入だけではなく、染色技術の輸入でもあったのです。国内でデニム生産が可能になるまで、日本のジーンズは輸入品でしか手に入れることができず、1956年東京都港区北青山で栄光商事が初めて輸入販売を始めました。

1962年に繊維生地輸入の自由化に伴い、65年に岡山県児島市(現水島市児島)のマルオ被服(後のビッグ・ジョン)がキャントンミルズ社製デニムを使ってキャントンブランドのジーンズとして製造販売したのが、国産ジーンズ第一号とされています*。

*高畑縫製が既に1960年に藍染デニムエイトGを製造、62年には国産ジーンズコーンホッパーを製造。これを国産ジーンズ第一号とする説もあります。

これによって、日本ジーンズ発祥の地として児島ブランドが確立するまでになりますが、純国産デニム生地が生産されるまでには、さらに8年の歳月を要しました。

日本でのジーンズマーケットの拡大に伴い、リーバイ・ストラウス日本支社が1970年に開設。

この年、日本で「ロープ染」の綿糸の生産供給を開始したのが、カイハラ社とクラボウ社(倉敷紡績)です。カイハラ社のロープ染綿糸は1973年にリーバイスでも採用されるなど、世界市場へデビューします。

しかし、その後もデニム生地の供給が安定しないことからクラボウは1972年に国産初となるデニム生地「KD8」をビッグ・ジョンと共同開発、翌73年に国産デニム(クラボウ社)を使用した純国産ジーンズ「Mシリーズ」(ビッグ・ジョン社)がリリースされました。

参照>>ビッグ・ジョンの歴史

国産デニムは1970年代を境に生産体制を確立し、大量生産されるようになってジーンズ市場に出回る一方、ヴィンテージデニムの風合いを求める1980年代のジーンズマーケットに参入する各ブランドの要請に応えるラインも整えていくことになります。

古くから紡績(綿→綿糸)>染色>織布>加工整理が分業制でなされていた日本の繊維工業の体制は、アメリカのそれとは異なり、現在一社で一貫生産しているのは、国内ではカイハラ社だけです(紡績を除いた3工程を一貫生産しているの会社ではクロキ社があります)。

カイハラ社は1991年に広島県内に紡績工場を設立し、国産デニム生地の一貫生産を開始。ここに始めてデニム生地を糸から作り出すメーカーが誕生するのです。ジーンズが国内で作られ始めてから実に約30年もの歳月を経ていました。

1990年代後半は日本法人リーバイ・ストラウス・ジャパンから続々と501復刻版が日本製としてリリースされた時期でもあり、カイハラデニムが多く採用されています。



その背景から、ジーンズの生地デニムについては一部マニアの間で話題になっただけでしたが、2000年代にユニクロがPRに「カイハラデニム」 使用を謳ったことにより、国内でも注目されるようになりました。カイハラって何?という具合に。

ユニクロがカイハラと出会うのは1998年とされていますが、当時からヴィンテージデニム生産ラインに注目していたようです。

一方、アメリカンヴィンテージデニムの再現を目指した日本のデニム作りが、岡山・広島を中心に世界に発信され「JAPAN DENIM」としてファンを確立しています。

ファストファッション界の格安ジーンズが、国内のジーンズメーカー衰退の一因とされているようですが、以前触れたとおりジーンズの生産数が激減している訳ではありません。(参考>ジーンズの総生産量は4年間あまり変化していない

日本では、アメリカで残っているワークパンツとしての中間価格帯の位置づけはすでに無くなり、ファッションアイテムとなったジーンズは、その価格帯も2極化の中にあると言ってよいでしょう。

ゴツくて荒々しいヴィンテージの風合いも、しなやかで奇麗なラインを持つモダンなものも一つの選択肢に過ぎず、ヘビーオンスも冬暖かい機能性も夏涼しい麻混も、その選択肢の一つなのです。

全てが同じ方向を向いていて生き残れる時代は去りました。

「セルビッジデニム」「ヴィンテージ風デニム」に求められているのは、ファッション性だけでなくその生地の持つ「ストーリー」であり、そのデニムを生み出す作り手たる企業の情報の伝え方が、今後のJAPAN DENIMの下支えになっていくのではないでしょうか。